みーむくん

ちょいとしたことをちょいちょいと。

「ヒャッハー!」のモヒカンの親を想像できる感受性を持っているか?

なんのこっちゃいな、というタイトルからスタートしてみましたが、とかく最近「無慈悲」な話が増えてます。

テロもそうだし、イジメで自殺しちゃう子が出る、というのもそうだし、バカッターを物凄いスピードで個人特定しちゃうのもそうだし。某学生政治団体も今では色物コンテンツ化してるけど、その追い込みようが半端ないですね。

 こういうのが出ると「痛みのわかる社会に」「もっと相手のことを考えて」とか定型句が出てくるけど、根本的に想像力を掻き立てる文言じゃなくてただの定型句。本当に相手のことを考えるってのは、例えて見ればこういうことだ、というアナロジーをちょっと思いついたので書いてみた。

ヒャッハーの一幕

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これはかの有名な某拳法マンガの一コマ(ふたこまだけど)ですが、このモヒカン君とかはあとで主人公のケ○シロウにガッツリやられちゃうわけです。まぁ伏せ字は必要ないんですが。

けどこのモヒカンも設定上は人間だから、秘孔に技が効くわけで、人間である以上母親と父親から生まれてきたはず。マンガはストーリーなんでこれが「悪」のシンボルだとしてもそりゃメタファーなんでどうでもいいんですが、読んでる側がこれを想像できるかどうか。

このモヒカンの母親と父親、そしてモヒカン君の生まれてからヒャッハーに至るまでの簡単なストーリーを想像できますか?

当然このモヒカンも生まれた時からモヒカンじゃなくて、パパやママからミルクを飲ませてもらって、夜泣きもしただろうし、おむつも取り替えてもらってすくすく育った事でしょう。この風体から想像できる荒廃した家庭では、ここまで筋肉隆々に育つことは不可能です。

そして人並みに学び、バイクが運転できるだけの技能を身につけながら、どこかで頭をモヒカンにして額にZのイレズミを入れるに至る事件があったはず。たとえこのマンガで雑魚キャラとして主人公の強さの証明の噛ませ犬として消費される存在だったとしてもこれまでの人生のストーリーがあるはずです。

そこで大きく道を誤らなければ、雑魚キャラとして倒されることもなく、平民としてこういう人生だったかも知れません。

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あ、だめじゃん。

とにかく無慈悲な事件には、対峙する相手について、ここまでの理解がないから起こるんじゃないかと。北○の拳のモヒカンの人生ストーリーにシンパシーが感じれるくらい感受性が豊かになれば、もっと現実感のある相手については無慈悲なまでに追い込まないんじゃないの?という話でした。